分析的観察研究

後ろ向き研究は価値が無いのか?

後ろ向き研究は価値が無いのか?

後ろ向きだから読むに値しない研究

 

以前、上司からそういうコメントを頂いたことがあります。また一流誌から同様の査読結果を頂いたこともあります。

 

どういう意味でしょうか?

分析的観察研究, propensity score matching, gastrectomy, laparoscopic surgery

 

後ろ向き(retrospective)という言葉自体が、臨床研究のデザインを表現する際に誤解を生みやすいということで、例えば観察研究の報告の質を改善するための声明(STROBE声明)などには、その言葉をなるべく使用しないようにしていることが書かれています。

 

ご存知だと思いますが、後ろ向きというのは、現時点から過去にさかのぼってカルテなどを調査し、データを抽出する方法をさします。レトロスペクティブ、後方視的という場合もあります。

 

この方法が批判を受ける理由は、第一にアウトカム・レポーティングバイアスと言われるものです。

 

「自分の説に都合の良い結果だけを選んで発表しているのではないか?という疑惑」です。

 

第二の批判はデータの質が低いということです。「カルテに記載されていない情報は得ることが出来ないだろう」ということ、もともとカルテは特定の研究を目的にデータを収集していないので「分類法・記載法が主治医によって統一されていない」、場合によっては「カルテの文字が汚くて解読できない」などの理由で欠測値が多くなり、データの質に問題があるだろうという指摘です。

 

この点、前向き(prospective)にデータを集めるのであれば、初めから収集すべきデータとその記載方法を研究者全員に周知しておくことでデータの質を高めることが出来るというわけです。

 

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後ろ向き研究なんて良い雑誌に載らないとまで断言する人もいます。

 

 

ここまでは一般的なお話ですが、さて本当にそうでしょうか?

 

 

近年のカルテ調査研究の質

 

まず第一の疑惑「アウトカム・レポーティングバイアス」に関しては、別サイト「アウトカム研究」の項で野球のペナントレースを例に詳しく説明していますのでそちらをご参照いただきたいと思います。ここでは、第二の問題、「データの質」に関して考えたいと思います。

 

後ろ向き研究を全否定する臨床医は、おもに年齢が上のお医者さんが多いです。これは自分自身の研修医のころのカルテ記載を想定しているのではないかと思います。私の研修医時代は既に電子カルテが一般的に普及しつつありましたが、それでも過去の症例を調べるときは紙カルテを取り寄せていました。10年、20年前の紙カルテなど確かにデータ収集は極めて困難です。当時の主治医が何を考えて術前検査をオーダーし、術後にどのような合併症が起ったのか良くわからないカルテがたくさんありました。

 

 

しかし現在はどうでしょうか?

 

施設にもよりますが電子カルテにはテンプレート機能や、WHOや各癌取扱い規約に準拠した分類が参照選択できるような入力補助システムが充実しており、またSOAP形式の記述も普及していますし、オーダー内容や看護記録も一体化され非常に分かりやすくなっているのではないでしょうか?画像の呼び出しもすぐに可能であり、記載に疑問があればすぐに色々な視点から確認できるようになっています。

 

ちなみに、後述するLOC-1研究では、合計4000例を超える症例につき40項目もの臨床データの入力を「それこそ」後ろ向きに調査依頼したことがありますが、データの欠測割合は、わずか0.2%でした。

 

このように、現在の後ろ向き研究の精度は、10年前、20年前と比較して格段に向上しているのです。この点、臨床実務にあまりかかわらなくなってしまった管理職の先生などはあまりご存じないのかもしれません。

 

逆に、いくら前向きにデータ収集を設計しようとも、その時点で重視されていなかった調査項目は調べられないでしょう。たとえば、10年前に企画されたコホート研究で大腸癌患者のk-ras変異やリンチ症候群の有無などが集積できたでしょうか?胃癌のHer2タンパクのデータが収集できたでしょうか?

 

収集すべきデータ項目は時代とともに変わっていきます。そのような項目はやはり「後ろ向き」に調べなおさなければならないのです。

 

だとすれば、いかにデータや資料を整理し、取り出しやすいように保存しするか、そのデータベースの構築をしっかり設計してくことが重要です。この点についてはデータベース研究の項で再度取り上げたいと思います。

 

ともあれ、日々の診療に熱心に取り組んでいる臨床医は胸を張って主張して良いと思います。

 

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私たちは日々きちんと患者を診察し、適切な用語や分類を用いて記載を残している、であるから我々の提供するデータは信頼性が高く価値のあるものだ、と。

そもそも前向きと後ろ向きの違いは明確か

後ろ向き研究なんて・・・と批判する人の多くは、「後ろ向きとはなんぞや」、ということをあまり深く考えていない場合が多いように思います。後ろ向きか、前向きか、というのは言葉の使い方の問題にすぎません。問題はどのようにデータの精度を高める努力をしたのかということです。

 

先ほども取り上げた「STROBE声明」においては、単に「前向き(prospective)」とか「後ろ向き(retrospective)」と呼ぶことは推奨しない、とされています。
その理由として、この用語の使用方法が論文の著者によっていくつかの種類があり、定義が明確ではないということです。

 

たしかに、従来「前向き」という用語はコホート研究を意味し、「後ろ向き」という用語はケース・コントロール研究を意味すると説明する教科書もありましたが、コホート研究に関しても後ろ向きコホートなる用語を使う場合もあり、さらには前向きのケースコントロールという記載を見かけたこともあります。

 

古典的には、過去のデータを収集すればすべて後ろ向き研究になります。

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しかし、この考え方にとらわれていると例えば傾向スコア解析のような原理を理解することが出来ません。傾向スコアを使った臨床研究は外科領域にも急増していますが、多くはこの「後ろ向き」という固定観念から脱することが出来ず、方法論を間違えています。

 

先ほど例を出した韓国の論文も、これは暴露要因(腹腔鏡か開腹か)からアウトカム(生存率)を見ているので、コホート研究には違いありませんが、過去のカルテ調査がメインとなっており、「後ろ向きコホート(Retrospective cohort)」に分類する人もいるでしょう。

 

しかし、後ろ向きコホートという言葉はややイメージがしにくいと思いませんか?

 

そこで、下図のように、過去のある時点にタイムスリップしたようなイメージで、そこからコホート研究をスタートさせたとイメージしてみてください。過去を起点に、現在へ向かって「前向きに」データを収集しているイメージになります。

 

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「なんだ、やっていることは同じじゃないか」と思う人もいるようですが、実はこの考え方が分からないと、いつまでたっても誤った交絡調整法に気が付かないことになると思います。詳述はLOC-1研究の項で述べたいと思いますが、

 

 

データを後ろ向きに取るということは、新しいデータからさかのぼって調べていくことになります。手順としては、現時点で生存または死亡が確認できている患者をリストアップし、再発している患者を拾い上げ、その病理所見を調べ、手術方法を調べ・・・というように、時間経過を逆行してデータを取って行くイメージです。このようにして、再発リスク因子というものを検討する研究もあるでしょう。

 

 

 

一方で過去を起点に前向きに調べると、たとえば過去の一定期間に大腸癌と診断された全患者をリストアップし、治療前診断は何で、どういう治療をされて、病理がどうだったのか、再発、予後はどうだったのか、ということを調べていきます。つまり最初の対象の絞り込みから違ってくるのです。そして、この手法は先ほど前項で説明した通り、近年の電子カルテやデータstorageシステムの普及に伴い、一定以上のレベルの施設では重要な項目は十分にさかのぼって収集できることが分かっています。

 

 

また、後ろ向きとなるとあくまでもゴール地点は今現在となりますが、過去起点とすればそのゴール地点は未来に設定することもでき、将来的にスタートとゴールの設計に自由度が増します。これを「同時的(concurrent)」または「歴史的(historical)」コホートと記載することもあります。

 

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なおSTROBE では「前向き」あるいは「後ろ向き」、「同時的」や「歴史的」という用語は確立したものではなく読み手によって解釈が異なる可能性があるため、論文に記述する際には著者は、これらの用語をどのような意味で用いたのかあらかじめ定義すべきだと推奨しています。著者は、いつどのようにデータ収集を行ったのかを明確に記載するということである、と記載されていますが、大変重要なお約束ですよね。

 

このように調査の方法論をしっかりと論述することで、あえて後ろ向き・Retrospectiveという用語を用いる必要はありません。「後ろ向き」という言葉自体は決して悪いものではないのですが、いかにも「後ろ向き=イコール研究の質が低い」、といったレッテルを貼る人がいたりして議論が進まなくなることがありますので要注意かと思っています。

観察研究の質を向上させるために

質の高い観察研究を目指して

 

観察研究は介入研究よりも科学的に物事の因果関係を証明するのがやや難しいのです。

 

そんなことRCT以外にできるわけがないと断言する人もいます。

 

 

私が以前、「観察研究の質を高めるために・・・」という発言をした際に、ご高名な外科医に「観察研究の質を高めるってどういう意味だ?治療法を評価するためにはRCT以外に方法がないのに、何を言ってるんだ?」と本気で尋問されたことがあります。

 

いわゆるRCT至上主義者という方々でしょうか。

 

前述のとおり、カルテのシステムを少し整備するだけもで、観察研究の質は高まりますし、なにより分析的疫学手法を学ぶことで、比較の妥当性を評価し、適切な交絡調整を行うことでも質を高めることが出来ます。

 

質の高い観察研究は、介入研究と同等の結果を導くことが出来るという文献もあります。(その逆もありますが)。

 

STROBE声明

観察研究の報告の質を改善するための声明(STROBE声明)はこれまでも何度も引用していますが、基礎的な事項が良くまとまっていますので一読してみることをお勧めいたします。RCTではCONSORT声明に沿って記述されていなければ一定の雑誌には採択されないのと同様に、STROBE声明にも論文投稿前のチェックリストのようなものがありますので確認することを強くお勧めします。

 

ただ、内容はやや一般疫学的な記述が多く、外科領域の臨床研究に役立てるには考えるべき点がいくつかあります。

 

詳細は各論で見ていきたいと思います。


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